ギャラリーしらくら

1988年以来、全国で活躍する作家の手による楽しく実用的な作品を中心に陶磁器、吹きガラス、漆器、竹クラフト、染織品など展示販売しています

「おいしい」について

「おいしい」の一視点

主食の意味 

 普段は意識しませんが、物そのものの「おいしさ」に気が付くことがありませんか。たとえば、お米の「おいしさ」。パンなら小麦の「おいしさ」。米、麦は、穀物です。穀物は、「種子を食用とする作物で、多くは人類の主食となるもの」(『広辞苑』第五版)とあります。米、麦は、主食です。なぜ主食となるのでしょう。このなぜを考えると「おいしい」にヒントがあるように思います。

 なぜ主食となるのでしょう。必須の滋養分があって、食べ続けられるからではないかと思います。いつ食べても、毎日食べても、飽きずに食べ続けられるからではないか。これが「おいしい」ということではないか・・・。さしあたり、そう述べておきたいと思います。

 そうだとすれば、「おいしい」は、主食の姿であり、物そのものの「おいしさ」は、主食が示唆するものとしてある。このように考えると「おいしい」の意味に重み、広がり、深さを感じます。
 ふだん、私たちは、そういう実感をもつことなく、当たり前に、米、麦を食べています。「おいしさ」が当たり前になっていて、「おいしい」を深く考える必要もない。ですから、その意味が問われても、ハッキリと答えられなくなっているのではないでしょうか。 しかし、食の原点が見失われて久しいとすれば、それでは、立ち戻るべき着地点はどこなのか、どんな視点からならそこが見通せるのか・・・。
 「おいしい」の視点はそこに立ち戻ってみるのに役立つのではないか。つまり当たり前の「おいしい」の記憶を呼び戻そうと言いたいのです。すこし考えてみましょう。

個々の「おいしさ」

 物には物そのものの「おいしさ」があるということは、物それぞれに固有の味があり、それぞれの味に「おいしさ」があるということです。では、それぞれの「おいしさ」をひっくるめて何と表現しているのでしょう。
「おいしい」と言っているのではないでしょうか。たとえば、米、麦、ダイコン、リンゴ、鯵(アジ)・・・には個々の「おいしさ」があります。どれも「おいしさ」があって「おいしい」といいます。
 個々の「おいしさ」をつらぬいて、共通していることがらを一語で表現したことばがあるのでしょうか。(「おいしさ」を分析し、うまみ成分(共通項)を引き出したり、製品化したりする例はありますが、ここではふれません)。 その前に個々の味、代表的な味を考えてみましょう。

甘い 「おいしさ」 
 
 「甘い」があります。いろいろな食品に甘味が感じ取られるものは確かにあります。だから「おいしい」と。でもすべての食品にあてはまるかは疑問です。
 辛味、酸味、塩辛味、苦味についても同じことが言えるでしょう。また、二味あり三味あり五味があり、複数の味がたとえようもなく「おいしい」というものもあるでしょう。そうなると、個々の「おいしさ」をつらぬいていて、共通していることがらを、「あまい」、「からい」、またはその組み合わせを含ませてどう表現できるでしょうか。できそうにない。

ともかく「おいしい」?

 かといって、なんとも言いようのない「おいしさ」が「おいしい」と、済ませるわけにはいかない。にもかかわらず、米の「おいしさ」、麦の「おいしさ」は?と問われて、「言いようのない「『おいしさ』」と、答え、「そうですね」で終わってしまうことが多いようです。つまり、「ともかく、おいしい」と納得してしまい、判ってしまう。五味も五味の混合も、いわく言い難い味も、いっこうに、肝心な「おいしい」を説明しない、できない。説明の必要も感じない。そこで、そこにあえて押し入って考えてみようというのが実は、ここでのねらいです。
 (さきほど、うま味成分の分析とふれましたが、たとえばイノシンサンなどという視点から厳密に調べようというのではないのです)なお、「おいしい」は、味がよい、という意味なら「旨い」ということばもあります。「おいしい。味がある」とか、「旨い。味がある」とか言います。 美をあてた「美し」もある。「うまし」など論じたら大変です。しかし、大いに想像力をかきたてますが。

個を越えて「おいしい」がある

 「おいしい」の定義は、などど言えば、文化、学問を問われそうです。半端な説明は無責任でしょう。ここでは、「おいしい」をこんなふうに考えたらどうだろうという一視点を述べたかった。それが本意だったのです。回り道をしたようです。
 あらためて、個々の「おいしさ」をつらぬいて、共通していることがらとはなんでしょうか。

 食べ続けられる ということではないでしょうか。 いつ食べても、飽きずに食べ続けられる。 これが、「おいしい」ということだと思います。「おいしい」から食べ続けられる・・・。

「おいしい」の実践 

 さきにも述べたように、食を考えるときこの視点で「おいしい」をとらえてみると、つまりこの視点で「おいしい」をキーワードにしてみたら、より広く、より深く、ということは、より自然に、当たり前に、個々の食品の姿をさぐることができる、確認できる、のではないかと思うのです。 たとえば、食の安全を考えるとき、「おいしい」のものさしをあてる。
 「おいしい」なら安全だというわけです。なぜなら、安全でないものは食べ続けることはできないからです。つまり安全であるということは、当たり前に「おいしい」ということを含みこんでいる。逆に言えば、「おいしい」は安全を含みこんでいるということです。「おいしい」にこうしたコンセンサスが生まれる・・・。そして、そこには実践に向かわせるものがある・・・と、思います。
 「おいしい」ものを食べたい、安全なものを食べたいですね。元気がでます。 希望が湧いてきます。

CIMG1574_convert_20120110175125.jpg 「おいしい」パン。 いつ食べても、毎日食べても、食べ続けられ、飽きない。その実践をこめて焼いています。 「 しらくら の 焼きたてパン 」のペイジをどうぞ。

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